授業の中でゲームをやっていると、どんなゲームでもよいパフォーマンスを発揮したり、成長を見せたりできる子と、そうでない子に別れます。

カタン,

なかなかうまくいかない子は、ゲームの中で「自分のやりたいことだけやりがち」という特徴があります。

カタンを例にあげますと、ひたすら街道を作りつづけていたり、ひたすら発展カードをひきつづけてしまう子です。やっている本人は非常にうれしそうにしています。しかし、手段が目的化してしまっています。カタンは勝利ポイントを10点稼ぐことが勝利条件で、街道をつくったり発展カードを引くことはそのために有効な手段となりえますが、そればかりでは効率が悪かったり、勝利に届かなかったりします。カタンでの勝利プレイヤーは1人なので、寄り道的な行動をしていると勝つことは難しいのです。

また、自分のやりたいことだけやりがちな子は、場全体の状況や、他のプレイヤーの情勢に気を配りません。そのため、勝利に近いライバルプレイヤーに利するような行動をとってしまうのです。(2位、3位のプレイヤーからは非難轟々です(笑))

一方うまくやっている子は、盤面全体を見て、相手との形勢をはかりながらプレイしています。自分は勝利にどれくらい近いのか、自分に足りないもの(資源・能力)はなにかということを意識する態度が身についているのです。

これは、仕事や勉強でも同じことが言えます。
たとえば勉強では、ノートを過度にきれいにとるが、習熟度を上げてテストで点をとれるようにしようという気がなければ結果がでません。自主学習ノートもそうです。
仕事では、成果にあまり直結しないような業務に過度にこだわることで業務のパフォーマンスが落ちてしまったりします。

安城,塾,教室

このように、課題や達成基準、評価基準や協業相手、競争相手が存在するような活動では、自分のやりたいことだけやっていてもうまくいきません。自分の実力を基準にあわせること、相手との連携や相手の分析などが必要になるからです。

偉そうに書いていますが、かく言う私も大学時代までこのことに気づいていなかったように思います。ゲーム上では奇策や逆張りが好きで、勝つためというよりはそれ自体が目的になっていました。当然、それは勝利という結果を得るための足かせになっていました。これを改善するには、私がプレイする様子をモニターして、指摘してくれる師のような人物が必要だったかなと思います。

やりたいことだけをやってしまいがちな子は、そもそも自分がそうなっていることや、不利益を被っていることに気づいていないことが多いので、指導者か、それに気づくためのツールによって認知させてあげなければなりません。