日本の産業界で「生産性」が課題に挙げられて久しいです。

企業での生産性とは、いかに仕事を効率よく進めているかということ。1時間あたりの成果、もっと言うと1時間あたりの売上です。

日本人はよく働くとか勤勉だとか言われますが、生産性の指標は決して高くなく、G7の中では最低水準となっています。

日本人の生産性をそこなっている原因として、教育の責任は大きいと感じています。とくに、高度経済成長期の時代遅れな教育観に基づいた指導です

 

 

「がんばりの”量だけ“を評価する」

量だけを評価する指導は、私自身も受けてきましたし、現代の教育現場でもまだまだ幅をきかせています。

・とにかく書いて覚える
・とりあえず、提出物はまじめに出す
・ノートの済まで埋めたら評価があがる
・自学ノートを教室に積み上げてクラス間で競わせる
・生徒の勉強時間をグラフにして掲示する

これらは実際に生徒や保護者から聞いた話であり、現在進行形で実施されている指導です。

消費したノートの量や勉強時間は勉強の過程でしかありません。それをあたかも最終的な評価基準のように誤解させるような指導はやめてほしいものです。

あるとき、教室で自習をしている生徒の様子を見ました。自主学習ノートに英単語を一生懸命書いていたのですが、書いている単語の意味そして読みさえ理解しないまま”作業”していたのです。(しかもその子は自主学習ノートの提出量がクラスで2番目に多く、そのことを誇りに思っているようでした。。。)

自主学習ノート上で行われた作業については、ろくに点検もされないし、習熟度の確認もされません。(隅まで埋めていたらプラス評価をされる程度)

これではいくらがんばっても勉強における結果は出せません。
それどころか「僕はこんなにがんばっても勉強ができないんだ」とマイナスの自信を植え付けるだけです。

中学生の保護者さんがいましたら、ぜひお子さんの自主学習ノートを見てください。また定期テストの告知プリントや長期休みの学習を指示するプリントを見てみてください。いろいろと、見えてくるはずです。

 

変化は教育界よりも産業界のほうが はやく進みます。

就職や人事評価で「生産性」が本格的に導入されたら(実際にすでにはじまっていますが)、子どもたちはその価値観の違いにとまどうことでしょう。学校で評価されていたことが社会では違うんだ、と。うまく切り替えて成長していくことができればよいのですが、それは簡単ではないと思います。

少々残酷な話かもしれませんが、がんばりの量だけを評価したり、アピールするのは意味がなくなっていくと思います。

・いかに効率よく結果を出すか考える
・自分のやり方をアップデートし続ける
・ときに新しい発想に基づいたやり方をためす

これらの実行するための素の思考力を高めることが必要なのではないでしょうか。


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